コクハク、ヤクソク、ハジマリ

注意:うつ病、自殺の話

2025年2月23日


7年ほど前に、うつ病と診断されたけど、それ以前からずっとそうだった気がする。

診断されたときは、ちょうど大学から卒業する頃で、何もかもわからなくなっていた。卒業後の人生を想像しようとしても、無理だった。

どんな未来も自分には訪れないように感じた。

他の誰かの夢を見ているようだった。

人生の中をただ漂っていた。身体の外から自分の形は時間のエントロピー的な流れの中を行進していくのを眺めていた。何もかも止まって欲しかった。ずっと何もかも止まって欲しかった。

今でも、まだ何もかも止まって欲しい。

大学に入学して最初の学期が始まると、すぐに迷い始めた。新しいキャンパスライフの中で、それまで自分の人生は「いい大学に入りたい」という気持ちだけに突き動かされてきたのだと早く気づいたのだ。他のことに取り組むための内発的動機付けを失っていた。それでも結果的には、とても恵まれていたと思う。世界でもトップクラスの大学に合格しただけでなく、それが自分がいちばん行きたかった大学でもあったからだ。入学できただけでも十分ラッキーだった。文句を言う資格などなかった。

しかし、入学したとき、自分の中の何かが死んだ。

あるいは、むしろ、合格するため頑張ることでそれを自分でおそらく殺してしまったのかもしれない。

あるいは、最初からそれは生きていなかった可能性のほうが高いのかもしれない。

高校時代、やっていたことのほとんどは「いい大学に入るため」だった。生物学を専攻しようと決めたのも、(興味があったけど)情熱があったわけじゃなくて、母は「科学系の専攻を選ぶ女の子のほうが、いい大学に入るチャンスが高い」と言ったからだ。Aより低い成績を取ったときは、教室で涙をこらえた。恥ずかしかった。怖かった。失敗するのが怖かった。それは、自分自身の失敗だと思ったからというより、家に帰って成績を報告するときに、どんな罰が待っているのかが怖かったからだ。アメリカの高校2年生(日本の高校1年生に相当)のとき、初めて大学レベルの授業を受けていた。すると数ヶ月の間、少しでも食べると吐き気をすぐに催すほどストレスが溜まっていた。それでも誰にも助けてはくれなかった。むしろ、自分の腹の問題は気のせいだろうとよく言われただけだった。

最近、そのことについてよく考える。

疲れる時間も、休む時間も、健康を維持する時間もなかった。アドレナリンだけで生きていた。ほぼガリガリ勉強していた。睡眠とウェルビーイングを犠牲にしてしまった。完璧な成績を取るため。完璧な入学試験結果を出すため。

完璧な自分になるため。

結構リベラルな家庭に育ったはずなのに、自分の価値観は意外と道徳的に厳しかった。汚い言葉は、ダメ。お酒は、ダメ。ブツは、ダメ。セックスは、ダメ。完璧な子供になりたかった。完璧な子供になるのは必要だと思っていた。昔の自分は、今の自分をどれくらい憎むだろうかよく考える。どれくらい怖がるだろうか。どれくらい今の自分を「わたし」として認めないだろうか。ときどき、まだ昔の自分の声が聞こえてくる。今の自分を裁き、恥じ入らせ、戒め、嘆く声が。ときどき、まだ昔の自分の声を受け入れてしまう。

you’re broken

(お前は壊れちゃったよ)

you’re dirty

(お前は汚いよ)

you’re selfish

(お前はわがままだよ)

you’re worthless

(お前は価値がないよ)

you’re meaningless

(お前は意味がないよ)

you’re a waste of space

(お前は空間の無駄遣いだよ)

you’re beyond redemption

(お前はもう救いようがないよ)

you’re better off dead you’re better off dead you’re better off dead you’re better off

(お前は死んだほうがましだお前は死んだほうがましだお前は死んだほうがまし)

dead

(だ)

昔の自分をガッカリさせるほうがいいじゃないか、と考え始めている。

あの頃の自分にもう戻りたいわけじゃないんだ。

あの頃の自分はもうわたしじゃないんだとわかっている。

もう変わったんだ。

それでも、自分が何者なのか、はっきりとはわからなくなってきた。

だけど、それでいい。

むしろ、他人の定義と期待に沿うように必死で生きていた青春を経て、「定義できない存在」である可能性に幸せを感じている。目の前には無数の可能性が広がっていることに幸せを感じている。どこかに向かうか全くわからないことでも幸せを感じている。

数年ぶりに初めて―いや、もしかすると人生で初めてかもしれない―自分自身に平穏を感じている。自分の考えを人にシェアすることにワクワクとやる気を感じている。今こそ生きていると実感している。

とはいえ、この文章を書くのは私にとって簡単じゃない。何年も、自分が言うこと、作ること、考えることになんて誰も興味ないと思い込んでいたからだ。エッセイや作品、ただのSNS投稿のアイデアでも、「誰もそんなもの興味ないよ」という小さな声に打ち消されてきた。「声をかければ周囲をうんざりさせるよ」という小さな声に。「黙っていたほうがいいよ」という小さな声に。

また書きたい。

また作りたい。

また望みたい。

また自分でありたい。

自己顕示してでも、もっと挑戦していこうと思う。些細なことだけだけど、先日インスタグラムのスートリーに来週の修論発表のチラシをアップしたとき、思わず泣きそうになった。あまり知らない人も含め、多くの人たちが「いいね」を押してくれて、その反応に驚いた。そして、大学を卒業したあとの年、うつが一番つらかった頃を思い出した。インプロ・クラブで受けていた即興ストーリーテリングの授業のため演奏イベントがあったときを思い出した。誰も演奏があることを教えてあげなかったことを思い出した。誰も応援には来なかったことを思い出した。クラスメイトたちがみんな友達や家族に見守られ、演奏後に「お疲れさま」と声をかけられていたのを見ていたことを思い出した。どれほど寂しかったかを思い出した。

どれほど悲しかったかを思い出した。

朝や、うつでの昼寝をしたあとに目覚めるたび、「起きないほうがよかった」と願いながら泣いていたことを思い出した。

眠りの中にまた消えようと、ずっと目を閉じていたことを思い出した。

どれほど死にたかったかを思い出した。

今どれほど生きたいかを思い出した。

今生きたい。

生きたい。

I WANT TO BE ALIVE

今回も、誰かが発表に見に来てくれることはあまり期待していない。でも、こうして少しでも自分をアピールできていること自体、けっこう前進している気がする。

周りの人ともっとつながりたい。周りの人は私のことをわかって欲しい。そして、周りの人のことをわかりたい。

正直、このブログをどれくらい活用するようになるのかは、まだわからない。今はやる気あるんだけれど、そのやる気だって浮き沈むがあるとわかっている。明日にはすべて消えてしまうかもしれない。明日にはまたうつ状態に戻るかもしれない。うつは完全に治るものじゃないとわかっている。死ぬまで付き合っていかなければならないものだとわかっている。

それでも、まだやってみたい。

まだやってみたい。

自分自身に挑戦したい。自己顕示はわがままじゃないと、そう理解したい。自分の中にある価値を見いだしたい。

そう、自分の中に価値が<ある>んだ。

I HAVE WORTH IN MYSELF

この気持ちを抱えているのは自分だけじゃないとわかっている。多くの人たちが迷いを感じたり、一人ぼっちだと思ったり、「自分が消えても誰も気にしない」と思い詰めたりしているのだと、わかっている。だから、あなたには一人ぼっちだと感じてほしくない。たった一人の読者でも、この文章を読んで何かしらの意味を見つけ、「ああ、自分はそんなに孤独じゃないかも」と思ってくれたら、それだけで私は満足だ。

この文章に意味を見い出している人が私だけだったとしても満足だ。


読んでくれて本当にありがとうございます。私にとって、これがどれほど大きな意味を持つか、言葉では表しきれません。


Finally I’m ready for the silence

(私はやっと沈黙を受け入れる準備できた)

Finally I’m ready for nothing

(私はやっと無を受け入れる準備できた)

Maybe I, maybe I’ve been selfish

(もしかしたら、もしかしたら、私はわがままだったのかもしれない)

Maybe I, maybe I’ve been selfless

(もしかしたら、もしかしたら、私は無私だったのかもしれない)

Maybe I, maybe I’ve been worthless

(もしかしたら、もしかしたら、私は価値がなかったのかもしれない)

Maybe I, maybe I’ve been worth it

(もしかしたら、もしかしたら、私は価値があったのかもしれない)

Maybe I, maybe I’ve been worth it

(もしかしたら、もしかしたら、私は価値があったのかもしれない)

Maybe I, maybe I’ve been worth it

(もしかしたら、もしかしたら、私は価値があったのかもしれない)

Maybe I, maybe I’ve been worth it

(もしかしたら、もしかしたら、私は価値があったのかもしれない)

“Worth It” by Haley Heynderickx、拙訳


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